40年前のキャラクター
2017年 04月 18日
時々、施設に入っている母のところに慰問に行くのですが、
母の部屋で懐かしいものを見つけました。
私が40年前に某印刷会社のデザイン室…印刷会社の社長夫人が経営する
文具メーカーに勤めていた頃、描いていたキャラクターのメモ帳です。
まあ、よく残っていたこと!
当時は、ノートや便せん封筒、鉛筆や消しゴムや、いろんな物に展開して
銀座にあった文房具屋さん、クロサワって言ったっけ?のショウウインドウを飾った事もあったのです。
今見ると、「よくこんな稚拙な絵で、出来たな〜」と思ってしまうのですが。
TOMOKO&KUROBE
赤い帽子の女の子がTOMOKO,
KUROBEはお伴の子犬。
大学を出たてで、最初はステッカーのデザイン、
それからキャラクターを作るために
仕事の半分は、せっせと絵を描かせてくれていた会社は、
今思うとずいぶんのんびりしていて
イラストレーターを育てる…という姿勢があって、ありがたい環境だったと思います。
でも、カラーインクとか使って好き放題描いていた私に、先輩のデザイナーのお姉さんが
「新人で特色使うようなキャラクター作っても、コスト的に出来ると思ってるの?」
え?新人いじめ?って、でもその通り!
う〜む……で、考えたのがこのBlack+特色1色で出来るキャラクターでした。
で、これが色の溢れる文房具売場で、思いがけない新鮮さ!
で、ちょっと売れてたんですよ。
結局、キャラクター文具業界にずっと身を置いてしまうと
自分の絵が変わって行ってしまう…と、
まだ自分の絵なんてぜんぜん描けていたわけでもないのに
生意気なことを思って2年足らずで,退職したのでしたが。
でも、このキャラクターは、
福島の裏磐梯にある、『ペンションとも』の談話室の壁に描いてきて
それは、今も残っていて、
娘たちと毎年のように行き、
まだ交流が続いていたりするのです。
母の部屋で懐かしいものを見つけました。
私が40年前に某印刷会社のデザイン室…印刷会社の社長夫人が経営する
文具メーカーに勤めていた頃、描いていたキャラクターのメモ帳です。
まあ、よく残っていたこと!
当時は、ノートや便せん封筒、鉛筆や消しゴムや、いろんな物に展開して
銀座にあった文房具屋さん、クロサワって言ったっけ?のショウウインドウを飾った事もあったのです。
今見ると、「よくこんな稚拙な絵で、出来たな〜」と思ってしまうのですが。
TOMOKO&KUROBE
赤い帽子の女の子がTOMOKO,
KUROBEはお伴の子犬。
大学を出たてで、最初はステッカーのデザイン、
それからキャラクターを作るために
仕事の半分は、せっせと絵を描かせてくれていた会社は、
今思うとずいぶんのんびりしていて
イラストレーターを育てる…という姿勢があって、ありがたい環境だったと思います。
でも、カラーインクとか使って好き放題描いていた私に、先輩のデザイナーのお姉さんが
「新人で特色使うようなキャラクター作っても、コスト的に出来ると思ってるの?」
え?新人いじめ?って、でもその通り!
う〜む……で、考えたのがこのBlack+特色1色で出来るキャラクターでした。
で、これが色の溢れる文房具売場で、思いがけない新鮮さ!
で、ちょっと売れてたんですよ。
結局、キャラクター文具業界にずっと身を置いてしまうと
自分の絵が変わって行ってしまう…と、
まだ自分の絵なんてぜんぜん描けていたわけでもないのに
生意気なことを思って2年足らずで,退職したのでしたが。
でも、このキャラクターは、
福島の裏磐梯にある、『ペンションとも』の談話室の壁に描いてきて
それは、今も残っていて、
娘たちと毎年のように行き、
まだ交流が続いていたりするのです。
by pukuminn
| 2017-04-18 18:07
| 日々のこと